2011年11月22日火曜日
11月27日まであと5日
あと5日もすると出産予定日。
今年の3月20日に妊娠がわかってからの日が経つのは本当に早かったよ・・
去年の3月3日に妊娠5ヶ月直前で中絶の分娩をしてから約1年後の3月に妊娠が発覚した。
去年の3月、自分のお腹の中にいる子がシスティックヒグローマと言う1/16000という極めて低い確率の胎児の病気で、もし産まれることができても生存率は1%未満と診断された。
妊娠を継続することで母体も危険にさらされると言われ諦めることしかできなかった。
諦めた自分を責めたし、小さな命を途絶えさせたことの罪悪感から分娩後に何度も何度も自分が死にたいとも思った。
妊娠4ヶ月以降は胎児を分娩して取り出さなくてはいけなくて、
分娩後、皮膚もできていない真っ赤な体をした12cmほどの我が子と対面をしたこと・・
あの時の悲しみは今でも忘れない。
とても穏やかな顔をした子だった。
そんなことがあったから今回の妊娠は本当に本当に嬉しかったんだ。
あるスピリチュアル系の力を持った人から
「この悲しい出来事は意味のあることで、あなたが強く生きていたら
近い将来会いにきてくれるから」そう言われた。
あの時は意味なんて考えられなかったし、とにかく悲しい気持ちだけしかなかったけれど
今は意味があったんだと思える。
途絶えさせてしまった命を無駄にしてはいけなくて
弱い自分ではいけなくて、少しでも強い自分になって、また会いにきて欲しかった。
そして1年たって会いにきてくれたんだ。
胎動を感じるようになって、日々不思議の連続で何とも言えない嬉しさがあって穏やかでいられた。
それだけでも、わたしのところへ来てくれて本当にありがとうって思うくらい。
わたしをどんだけ幸せな気持ちでいさせてくれたか。
妊娠をしてこんなに幸福感に満たされるなんて思ってもいなかった。
お腹の中にいれるのは長くてもあと2週間ちょっと。
あとちょっとでこの世の中にやってきて本当に出会うことができる。
まだまだ最後まで何があるかはわからないけれど
きっと無事に出産を終えたら色んな思いがこみ上げてくるんだろう。
今はその思いがどのくらいで、どんなものなのか想像なんてつかないけど
本当に何にも代え難いものになるにちがいない。
2011年8月21日日曜日
父
2011/8/19 13:56に父が息をひきとりました。
食道がんが発覚したのは去年の10月。
家族みんな、ある程度の覚悟はできていた。
本人にも癌の告知がされており、その時すでにステージ3だった。
ただ、余命は本人には知らせれおらず
1年もつかもたないかということだった。
15日に会って話したのが最後の会話だった・・。
最後に握手をして帰ってきた。
「お父さんまたね。また来るからね」と言うと
父は「いいよいいよ。無理してくんな。いつもありがとね」と
言う言葉が最後だった。
どんなに悔やんでも
もう父とは話すことはできないけれど
私は一時退院した時に3時間
自宅のダイニングキッチンで父と話す機会があった。
普段、父と2人でゆっくり話すことなんてほとんどなかったのに
そのときだけは本当にゆっくり話すことができた。
その三時間がなければ私はきっと
もっとちゃんと話してればよかった・・・って後悔したのかもしれない。
父は家族全員に看取られて天国へ旅立っていきました。
19日AM8時
母からの電話で「もうお父さん駄目みたいだから早くきて」との連絡。
病院へ到着したのは9時前だった。
その時、すでに意識はなかったけれど
酸素レベルや心拍はまだ問題がなかった。
話しかけてもほとんど反応はなかったけれど
看護士さんが言うには声は聞こえてると思うから
話しかけてあげてくださいってことだった。
私は「お父さん」と呼びかけることしかできなかったけれど
一回だけ指が動いて反応をしてくれた。
姉が遅れて到着し「お父さん、大好きなビール持ってきたよ!」と泣きながら言うと
父はうっすらと微笑んだように思う。
家族全員がそろったのだが
一瞬 父が亡くなる数十分前に
病室に私と姉しかいなくなった時があり
父の酸素レベル 脈拍が一気に下がりだした
母が病室から離れてすぐで
母にすぐに病室に戻るように携帯電話をならした。
母が来るまでは生きていてほしい・・・
その一心で父を呼び続けた。
呼び続けたという感じではなく
姉と一緒に叫び続けた。
病室の外に声が漏れようと何をしようと
母が看取れないなんてかわいそすぎて
母にちゃんとお別れを言わせてあげたかったから。
何度も何度も父に「もう少しだから!お母さんが戻ってくるまでは!!」って
何度も伝えた・・・
酸素レベル10以下になって
心拍も20以下になったところで母が到着し
「お母さんきたよ!」と父に言うと
父のレベルはグッと一瞬あがり
その後数分、母は父に話しかけていた。
「ありがとね。よく頑張ったね。もういいよ。もう無理しないで良いよ」って
母は何度も何度も言っていた。
私は母があんな風に大粒の涙を流して泣いているのを何年も何十年もみていないかもしれない。
45年以上つれそった人が死んでしまうことが
どんだけ悲しいことなのか私には想像がつかないけれど・・・
父は最後に「ありがとう」と母には言えなかったけど
きっと、母が戻った瞬間に酸素レベルや心拍がグッとあがったのは
母にお礼を言いたかったからなんじゃないかと思う。
母は今日も父の冷たい顔に触れながら
「あれが最後の会話だなんて思わないから、あんな風に帰っちゃったけど
もっともっと優しくしてあげればよかったよ」って、また大粒の涙を流して
父に話しかけていた。
父が亡くなる前の日、父は母にたくさんのわがままを言ったらしい。
聞き分けのないわがままを言うので母は怒ったらしい。
母は怒ったことを後悔していた。
母に「お母さんが戻ってきた瞬間、すごく心拍も回復したし
酸素レベルも回復したから、お父さんは最後にお母さんにお礼を
言いたかったんだと思うんだよ。
言葉にはできなかったけど、お母さんが戻ってきて一気に回復したって
そういうことだったんだよ」と言うと
母は少し笑って「そうかな。そうかな。そうだといいな。一緒に行こうねって言ってたところ行けなかったね。バーベキューもしようって言ってたのに出来なかったね」って
泣きながら父の顔をなでていた。
たくさん喧嘩をして、たくさん困らせられて
それでも母は父に尽くしてきたとこを私はたくさん見てきた。
文句も言うけど本当に父のことが大好きでしかたなかった母。
私達以上に母の悲しみは深いんだろう。
でも母はみんなの前では気丈に振る舞っている。
母は強い。
そんな母をみていたら私は泣いてなんていられないんだ。
母にもう少ししっかり悲しんでもらいたい。
今は来客が絶えず、悲しんでいる暇なんてないのかもしれないけれど。
父はきっと母を見守ってくれるだろう。
願わくば、母の夢の中にでも出てきてもらって
母と会話をして欲しいと思うよ。
夢の中でも「ありがとう」って笑って言ってやってよ。
今頃、父は癌の痛みもなくなり空の上で大好きな酒を飲んでるのかもしれない。
そんな気がする。
お父さん 72年間おつかれさま。
安らかに。
お母さんのことをしっかり見守っていてあげてください。
父の希望もあって家族と親族のみでの通夜と告別式になります。
弔問 弔電 弔花 お香典などはお断りさせていただかせてください。
弔問 弔電 弔花 お香典などはお断りさせていただかせてください。
2011年6月24日金曜日
夏至の夜に
久々の更新・・・・(ーー;
夏至の日にキャンドルナイトしながらヨガをしてきました!
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月1ペースでしかいけてないのだけど
私がお世話になっているリカ先生のヨガ教室
↓
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夏至のキャンドルナイト
カリンバを弾き
生徒さん一人一人が持ち寄ったキャンドルを灯しながらの中でヨガをする
素敵なイベントでした。
その後はマクロビご飯を食べて心もお腹もみたされた。
私がマタニティということもあり先生がお腹を潰さないように
配慮してくれりで本当にどうもありがとうございました(^0^)
戸田さんのマクロビご飯とてもおいしかった〜!!
キャンドルの中でのお食事だったので暗くて
写真撮らなかった。
もう一人ゆかりさんがつくったスィーツもすごくおいしくて
スィーツではないのだけどカレーとタマネギのマフィンもこれまたおいしかった。
こういうの作れるって幸せだろうな〜
そしてみんなによろこばれるっていいなぁ〜
おみやげにたくさん買ってしまった(笑)
どれも優しい味でいくらでも食べれそうだった!(爆)
太るね(笑)
そしてこの日は先生のお誕生日で
サプライズケーキも用意されていた。
これももちろんマクロビ!
すごーい!
一口だけいただきましたが味はやっぱりやさしかった!!!
私も何かやらなくちゃ、そう思うことがいっぱいで
そこにいる人たちはみんなそれぞれに何か前向きな力をもっていた。
そして早くリカ先生のマタニティヨガいかなくちゃだわ!!!
6ヶ月になる前にいきたいのだけどなぁ。。。
そうそう、このヨガクラスの料金は日本赤十字を通し震災で
被害に遭われた方へ寄付されるとのことでした。
画像
売っていたビスケット
2011年5月26日木曜日
打ち合わせと相談会
午前中にあやちゃんの披露宴の打ち合わせの為
目黒にあるエルガーハウスへ。
アリーと一緒にスナップ係をやることになりました。
当日はゲストでもあるためお料理も頂きながらスナップ撮影も
楽しみたいと思います。
緑がたくさんあるエルガーハウス。
薔薇もたくさん咲いていてとても綺麗でした。
明るさがどれくらいなのか知りたかったのと
きっと薔薇も咲いているだろうと思い
カメラ持参。
披露宴の一連の流れを確認して3人でランチを食べた後私は日赤医療センターへ。
今日は出生前診断の相談を医師とする日。
去年の2月に入院したときの担当医が偶然にも今日の説明医だった。
「あれから元気でしたか?」という言葉に涙しそうになった。
腹部エコーがおわって出生前診断の話しへ。
去年もきいた内容。
同じ診察室で同じ医師から。
あの時は胎児の状態が悪く先生の顔色は穏やかではなかったけれど
今日は「エコー見る限り、今回は浮腫もないし背骨もしっかりしてる。
なんの問題もなさそうですよ」と穏やかな顔つきで話していた。
そう、胎児が前と同じ病気になる確率は0に等しいと去年もいわれていた。
とりあえずもうシスティックヒグローマと言う病気を気にしなくて
いいはずなんだけども、それでもいつもエコーを見るたびに浮腫を
探してしまう自分がいたりする。
先生が動かすマウスが何を計ってるのか気になって仕方ない。
帰るときはそうでもなかったんだけど
帰ってきてご飯を食べた後に突然悲しくなって涙がとまらなくなった。
ふと今日の先生の「元気だった?」という言葉
去年と同じ診察室
あの時と同じ担当医
同じ説明
夫婦そろってきかなければいけない話し。
あの時とおんなじような状況だったからなんだろうなぁ。
今日も先生に問題なさそうだと言われてるのにな。
悲しんではいけないとわかっているのに涙がとまらなくなってしまった。
今はもう新たな命を授かって、前向きにって思っておちついたと思っていたけれど
もう今は大丈夫なんだけど、ふとくるんだ。
こういうときは深呼吸深呼吸。
画像:エルガーハウス庭から
エルガーハウスのエントランスにある薔薇
2011年2月27日日曜日
露出オーバー
オーバーで撮るのが好きだった
ほんわかした写真が撮りたかった
そういう写真大好きだし
これからだって好きだと思う
でも私は基本がちゃんとなってないから
土台がしっかりできてないだろうから
もう一回ちゃんとやろうって思った
たくさん撮って
たくさん経験をつまないとな
どんな場面でもなるべく撮っていく
つまらないかもしれない
そんな写真見たいと思えないかもしれない
でもしっかりと普通に撮れるようになったら
ちゃんと求めたいなぁとおもう
自分の写しだす色とメッセージ
遅い遅い
でも今更遅いとかなんてない気もしてきたから
「写真を撮るのはなんでなんだろう」そういっぱい考えて
たどり着いた答えは
その一瞬にしかないものを一枚に閉じ込めて
一瞬一瞬の大切さを伝えたいと思ったから
だから私は写真が好きなんだと思う
たくさんの一瞬を幸せの束にしたいと思った想いは
今も変わってないんだな
こんな単純な答えにたどり着くまでに何年かかったんだろうわたしは
遅いな
遅すぎるな
自分のことには本当に鈍感だな
画像:写真の学校で中判を持って外へ出ての初撮影ポジ
みんな若いね。
なつかしい。
たった数年前のことなのに。
予定いっぱい
夫がガムランを習っていて、今日はその発表会でした。
一曲目!真ん中で太鼓たたいて活躍してる!
かっこいい曲だし!
前にきいたガムランよりも楽しく聴けた。なんでだろう?
音もすごくいい気がした・・・なんでだろう?
一生懸命頑張っている夫はかっこいい。
夫に限ったことではなく、老若男女問わず頑張ってる人は
良い顔しているしかっこいいのです。
ガムラン鑑賞後は小学校の同級生 大ちゃんのマジックショーに行ってきた。
あやちゃんも一緒。
相変わらずたまげる・・マジックには種もあるし仕掛けもある。
でもそれがわからない・・・うむぅ。
きっと何度も目がまん丸になっていたはず。
マジシャンていいな。みんなを喜ばすことができて。
みんなを喜ばすってこと、それって素晴らしい。
笑顔を与えられることマジックじゃなくても人を笑顔にしてあげられるって
本当にすばらしい。
場所を変えてieという中目黒のカフェであやちゃんと食事。
あやちゃんと写真展のことについて話し合う。
お互いの意識を確認できた気がする。
お互いのベクトルが違う方向へ向いているからもう一度練り直しってことになった。
しっかり話し合わないとね。
良いものを作りたいから。
2011年2月21日月曜日
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