2011年8月21日日曜日















2011/8/19 13:56に父が息をひきとりました。

食道がんが発覚したのは去年の10月。

家族みんな、ある程度の覚悟はできていた。

本人にも癌の告知がされており、その時すでにステージ3だった。

ただ、余命は本人には知らせれおらず

1年もつかもたないかということだった。



15日に会って話したのが最後の会話だった・・。

最後に握手をして帰ってきた。

「お父さんまたね。また来るからね」と言うと

父は「いいよいいよ。無理してくんな。いつもありがとね」と

言う言葉が最後だった。



どんなに悔やんでも

もう父とは話すことはできないけれど

私は一時退院した時に3時間

自宅のダイニングキッチンで父と話す機会があった。

普段、父と2人でゆっくり話すことなんてほとんどなかったのに

そのときだけは本当にゆっくり話すことができた。

その三時間がなければ私はきっと

もっとちゃんと話してればよかった・・・って後悔したのかもしれない。



父は家族全員に看取られて天国へ旅立っていきました。

19日AM8時

母からの電話で「もうお父さん駄目みたいだから早くきて」との連絡。

病院へ到着したのは9時前だった。

その時、すでに意識はなかったけれど

酸素レベルや心拍はまだ問題がなかった。

話しかけてもほとんど反応はなかったけれど

看護士さんが言うには声は聞こえてると思うから

話しかけてあげてくださいってことだった。

私は「お父さん」と呼びかけることしかできなかったけれど

一回だけ指が動いて反応をしてくれた。

姉が遅れて到着し「お父さん、大好きなビール持ってきたよ!」と泣きながら言うと

父はうっすらと微笑んだように思う。

家族全員がそろったのだが

一瞬 父が亡くなる数十分前に

病室に私と姉しかいなくなった時があり

父の酸素レベル 脈拍が一気に下がりだした

母が病室から離れてすぐで

母にすぐに病室に戻るように携帯電話をならした。

母が来るまでは生きていてほしい・・・

その一心で父を呼び続けた。

呼び続けたという感じではなく

姉と一緒に叫び続けた。

病室の外に声が漏れようと何をしようと

母が看取れないなんてかわいそすぎて

母にちゃんとお別れを言わせてあげたかったから。

何度も何度も父に「もう少しだから!お母さんが戻ってくるまでは!!」って

何度も伝えた・・・

酸素レベル10以下になって

心拍も20以下になったところで母が到着し

「お母さんきたよ!」と父に言うと

父のレベルはグッと一瞬あがり

その後数分、母は父に話しかけていた。

「ありがとね。よく頑張ったね。もういいよ。もう無理しないで良いよ」って

母は何度も何度も言っていた。

私は母があんな風に大粒の涙を流して泣いているのを何年も何十年もみていないかもしれない。

45年以上つれそった人が死んでしまうことが

どんだけ悲しいことなのか私には想像がつかないけれど・・・

父は最後に「ありがとう」と母には言えなかったけど

きっと、母が戻った瞬間に酸素レベルや心拍がグッとあがったのは

母にお礼を言いたかったからなんじゃないかと思う。

母は今日も父の冷たい顔に触れながら

「あれが最後の会話だなんて思わないから、あんな風に帰っちゃったけど

もっともっと優しくしてあげればよかったよ」って、また大粒の涙を流して

父に話しかけていた。

父が亡くなる前の日、父は母にたくさんのわがままを言ったらしい。

聞き分けのないわがままを言うので母は怒ったらしい。

母は怒ったことを後悔していた。

母に「お母さんが戻ってきた瞬間、すごく心拍も回復したし

酸素レベルも回復したから、お父さんは最後にお母さんにお礼を

言いたかったんだと思うんだよ。

言葉にはできなかったけど、お母さんが戻ってきて一気に回復したって

そういうことだったんだよ」と言うと

母は少し笑って「そうかな。そうかな。そうだといいな。一緒に行こうねって言ってたところ行けなかったね。バーベキューもしようって言ってたのに出来なかったね」って

泣きながら父の顔をなでていた。

たくさん喧嘩をして、たくさん困らせられて

それでも母は父に尽くしてきたとこを私はたくさん見てきた。

文句も言うけど本当に父のことが大好きでしかたなかった母。

私達以上に母の悲しみは深いんだろう。

でも母はみんなの前では気丈に振る舞っている。

母は強い。

そんな母をみていたら私は泣いてなんていられないんだ。

母にもう少ししっかり悲しんでもらいたい。

今は来客が絶えず、悲しんでいる暇なんてないのかもしれないけれど。

父はきっと母を見守ってくれるだろう。

願わくば、母の夢の中にでも出てきてもらって

母と会話をして欲しいと思うよ。

夢の中でも「ありがとう」って笑って言ってやってよ。


今頃、父は癌の痛みもなくなり空の上で大好きな酒を飲んでるのかもしれない。

そんな気がする。

お父さん 72年間おつかれさま。

安らかに。

お母さんのことをしっかり見守っていてあげてください。

父の希望もあって家族と親族のみでの通夜と告別式になります。 

弔問 弔電 弔花 お香典などはお断りさせていただかせてください。