2011年12月12日月曜日































11月27日予定日から5日後の12月2日16時34分に3078gの 女の子を無事に出産致しました。

12月1日の0時すぎに軽い陣痛がきて、病院に電話をするともう少し様子を見るようにとの指示・・

1時すぎに5〜6分間隔になったので再度電話をすると病院へ向かうようにと指示され夫に付き添ってもらいタクシーで病院へ向かいました。

 モニターで確認をするとしっかり5〜6分感覚で陣痛がきていたので、陣発開始時間が1時とされ 水中出産用の分娩室へ移動させられました。 

この時、子宮口は最後の検診時と同じ1.5cmしか開いていなかった。

分娩室に入ったもののなかなか陣痛が強まらず、感覚も空いてきてしまい、とりあえず湯船につかってリラックスさせ子宮口を開かせようと助産師さんからアドバイス。 

湯船に30分くらいつかった・・・ この時点で、まだまだ産まれるまでには相当時間がかかりそうだということだったので付き添ってきてもらった夫は一旦自宅に帰ってもらい、午後から会社に行ってもらった。 

分娩室にいるとなかなか休まらないということから分娩準備室に移動させられ 準備室で寝ていると助産師さんに「陣痛も微弱になってしまっていて、次の内診で子宮口が開いてなければ一旦家に戻ってもらう感じになります」と言われた。

 戻るのだるいなぁ・・・って思いながら内診を受けたら5cmまで開いていたので結局家には帰らずにお昼を食べてから分娩室へ移動。 

ここまではどうにかお昼も食べられ、おやつも食べられた・・ だいぶ陣痛が強まり始めてきて、夫から「今から病院へ向かう」とメールがきた。 

まだ陣痛が本格的ではなく、モニターもつけてないので分娩室に1人でいる事が多く、水中出産用の分娩室に1人でいるのが心細くもあり腰などもマッサージしてもらえると嬉しいから「なるべく早くきてほしい」と返信すると夕飯を病院のレストランですませ分娩室にかけつけてくれた。

夫には腰をさすってもらったり痛いところ押してもらったり、ずーっと付き添ってもらってたくさん助けてもらって本当感謝。

このとき12月1日の19時。

分娩台が少し高くて、トイレに行ったりしたあとに分娩台に上がるのが辛いのと、陣痛の痛みを和らげるポーズが分娩台では取りにくいので助産師さんに床にマットを敷いてもらい、その上に布団を敷いてもらって横になったりヨガで教わったポーズをとってみたりしていた。

痛みがあってもヨガのポーズを思い出せてよかった。知ってるのと知らないのじゃ全然違うと思う。

木馬みたいな椅子を持ってきてもらって痛みに耐えてみたり・・その都度その都度痛みの場所が変わってくるのでいろんな体勢を試してみた。

ヨガでやったポーズで一番役立ったのはお尻を突き出してあごを床につけるポーズだった。

このとき、あと数時間で産まれるてくるだろうかと勝手に思っていたけど甘かった・・・(^^; 

夕飯に出されたものが食べられなくて助産師さんの配慮でご飯を一口サイズのおにぎりにしてもらった。

陣痛は痛い・・でもまだまだ本格的な痛みではなく序章にすぎないことを初産の私はしるはずもなく・・・

助産師さんが「お風呂入って子宮口開かせるようにしてみましょうか?お湯に入った方が陣痛が楽になるし」と言われ、お風呂に入ってみる・・・

 真っ裸の妊婦がバスタブの中に入って、その横に助産師さん・・・(笑) 

お湯につかると本当嘘のように陣痛が楽になる・・・でもちゃんと陣痛はくる・・・ 痛いけど、浮力で腰に負担がかからないからすごい楽で、陣痛がきても助産師さんと話せるだけの余裕がある。 

あと、お風呂に入りながらお腹の中の子の心拍を確認。 

なかなか良い音が聞こえてきて、夫がここでレコーダー取り出してのサンプリング 笑 

そんなことから助産師さんが「どんなお仕事されてるんですか?」と不思議がり 仕事の話しなどを3人でしていた・・痛みに耐えながら 笑 

不思議な光景・・・ 

そんなこんなで痛みも和らぎ、バスタブにつかりながら夫におにぎりやら飲み物を口まで運んでもらい補給してもらった。

長期戦なんだということが自分でもわかってきて、どうにか食べないと体力がもたないという焦りもあって、無理矢理におにぎりを口にほうばった。

この時、夫や助産師さんに無理矢理でも食べた方がいいと言われて食べといてよかったなぁと後になって思う。

うとうとしつつ陣痛きつつ、夫は頑張って腰のマッサージやら痛いところを押してくれていた。

ほとんど寝ておらず仕事に行った体だから相当疲れてたはず・・ 本当に感謝である。

両親学級でマッサージの仕方を教わったけど、実際はそんなマッサージよりも別の痛みが酷かった。

でも、夫が頑張って支えてくれていることは本当に心強く、自分の体ではないのに頑張って痛いところを探してくれようとしてることが精神的な支えとなりました。

助産師さんがバスタブにもう一度お湯をはってくれ、つかってみる・・・ 朝が明けてきた・・・

朝ご飯が出されて食べれるわけもなく、またご飯だけを一口サイズのおにぎりにしてもらいおかずは下げてもらう。

もうおにぎりだって食べられない・・・ 

でも食べないともたない・・

とりあえず何か口に入れないと駄目だという気持ちがあり

夫に「売店でウィダーインゼリーを買ってきて」とお願いをして飲ませてもらった。

ウィダーインゼリーがなくて朝バナナってやつだったけど、これがおいしかった。

その勢いでおにぎりも無理矢理食べた。

このおにぎりパワーはすごい意味があったはず! 

お昼になり医師の内診で子宮口が相変わらず5センチしか開いてなく・・・ 

しかたなく水中出産を諦めることになった。 

というのも水中出産は陣痛開始から24時間以内に出産が見込めないと行けないらしい。

なぜかは聞かなかったけどそういう決まりのよう。 

医師から「普通分娩に切り替えていいですか?」と聞かれ、一応、夫にも確認をする。

私がしたいようにしていいとのことだったので、水中を諦めて促進剤を打つ事にした。

陣痛が一度微弱になってしまったのもあって、陣発開始は12月1日の1時ではなく 

12月1日の14時に修正されていたから、水中出産を諦めなくてもよかったのかもしれないけど、

頑張って水中出産するだけの気力も体力もなくしていた・・ 

促進剤で陣痛を誘発して普通分娩に切り替えた。 

助産師さんに「今日中に産まれますかね・・・」と聞くと「うーん・・・日付が変わる前が目標なんですけどね・・・」と・・・

内心「えぇぇ12月3日になっちゃうのぉ・・・気が遠くなるよ・・・」と思っていた・・・ 

「促進剤の点滴はあと何本使うんですかね・・・?」と質問すると

「人にもよるんだけど、あと2−3本うつかもしれないです」と・・・ 

内心「いやだよぉ・・・こんなの3本も打ちたくない・・・」と思っていたが声には出さずにいた・・・。

弱音は吐きたくなかったもんで・・・。 

そんなこんなで出された昼ご飯なんて食べる気にもならない。 

この日のお昼はかき揚げうどんだし・・・陣痛でうどんなんてすする気になれない(ーー;

食べる気にはなれないけど、もしかしたら何か食べたくなる時がくるかもしれないと思い夫に卵サンドを買ってきてもらったがやっぱり食べられなかった。 

促進剤がきいてきたのか一気に痛みが増してきた・・・ 

これがピークってやつなのか・・・というのがわかるくらいの痛み・・・ 

このときの気持ちは「次にもし出産する時は無痛分娩がいいよーーーー!!!(>_<)という気持ちでいっぱいだった・・・(笑 

かなり気持ちは萎えていてもう気力がもたなくなってきていた・・・

助産師さんに「体力がもたなかったら帝王切開とかになってしまったりするんですかね・・・」とかきいたり・・

「3日の何時くらいになっちゃうんだろ・・・」とか気弱な感じな発言も増えていた。

で、医師の内診・・・子宮口が7cm開いたからもう一気にすすむかもしれないとのこと・・・

先が見えたことで俄然元気がでてきて食欲もでた・・(笑 

2−3分の感覚の陣痛の間におにぎりと卵サンドと野菜サンドを食べた(笑 

れで一気に産んでやるーという気合いに変わる。

相変わらず夫は痛いところをさすってくれたり飲み物を補給してくれたり声をかけてくれたり頑張っていた。

頑張っていてくれたのだけどさすってる場所がイマイチ違う場所だったりすることもあり「痛い!!!そこじゃない!!!」と怒ってしまう事もあったりだったけど、そんな言葉には負けず頑張って痛みを軽減させようとしていた。

そして赤ちゃんが出てくる感覚がやってくるのがわかった。

それまで助産師さん1人しかいなかった分娩室に医師と助産師3名が入り、 足袋とかいうのをつけさせられた。

もうそこまで来てるんだ!という気持ちがあって、そこからは痛いより早く出したいみたいな感覚になり、痛みはどっかいっていた。

助産師さんに「もう頭でてきましたよー!触ってみますか?」って言われて そんな余裕はなく「いいですーーー!!!」って断り(笑 

助産師さんのサポートもとてもよかったし、マタニティヨガでの呼吸法もすごい役立った・・・ 

よくテレビドラマとかでみる「ヒーヒーフーですよー」っていうのはなかったけど(笑 

助産師さんに「声を出すんじゃなくてフーって吐いてー!」ってサポートをされること4回くらいだったかな・・ 「オギャー!」という産声が聞こえてきました。 

この時、意識が朦朧としていて産声が遠くから聞こえてきた感じがした。

すぐにカンガルーケアで出てきたばかりの子が胸のところにおかれて何とも言えない感動と赤ちゃんのあたたかさに涙が流れてきた。 

夫からもなんか声をかけられたんだけど疲れ果てて覚えてない(ーー;

何を言われたのか覚えてないけど本当たくさん励ましてくれて支えてくれていたことに感謝感謝。

そして産まれる時に写真撮影してくれてた。

しかし私は疲れきった酷い顔していた・・・(汗


今は日々少しずつ成長している我が子をみていて、無事に産まれてきてくれてありがとうと感謝の気持ちでいっぱい。 

これから色々と大変な事いっぱいあるんだろうけどこの感謝の気持ちを忘れずに頑張って行こうと思います。 

2011年11月22日火曜日

11月27日まであと5日



あと5日もすると出産予定日。


今年の3月20日に妊娠がわかってからの日が経つのは本当に早かったよ・・


去年の3月3日に妊娠5ヶ月直前で中絶の分娩をしてから約1年後の3月に妊娠が発覚した。


去年の3月、自分のお腹の中にいる子がシスティックヒグローマと言う1/16000という極めて低い確率の胎児の病気で、もし産まれることができても生存率は1%未満と診断された。


妊娠を継続することで母体も危険にさらされると言われ諦めることしかできなかった。


諦めた自分を責めたし、小さな命を途絶えさせたことの罪悪感から分娩後に何度も何度も自分が死にたいとも思った。


妊娠4ヶ月以降は胎児を分娩して取り出さなくてはいけなくて、


分娩後、皮膚もできていない真っ赤な体をした12cmほどの我が子と対面をしたこと・・


あの時の悲しみは今でも忘れない。


とても穏やかな顔をした子だった。






そんなことがあったから今回の妊娠は本当に本当に嬉しかったんだ。


あるスピリチュアル系の力を持った人から


「この悲しい出来事は意味のあることで、あなたが強く生きていたら


近い将来会いにきてくれるから」そう言われた。


あの時は意味なんて考えられなかったし、とにかく悲しい気持ちだけしかなかったけれど


今は意味があったんだと思える。




途絶えさせてしまった命を無駄にしてはいけなくて


弱い自分ではいけなくて、少しでも強い自分になって、また会いにきて欲しかった。


そして1年たって会いにきてくれたんだ。


胎動を感じるようになって、日々不思議の連続で何とも言えない嬉しさがあって穏やかでいられた。


それだけでも、わたしのところへ来てくれて本当にありがとうって思うくらい。


わたしをどんだけ幸せな気持ちでいさせてくれたか。


妊娠をしてこんなに幸福感に満たされるなんて思ってもいなかった。


お腹の中にいれるのは長くてもあと2週間ちょっと。


あとちょっとでこの世の中にやってきて本当に出会うことができる。


まだまだ最後まで何があるかはわからないけれど


きっと無事に出産を終えたら色んな思いがこみ上げてくるんだろう。


今はその思いがどのくらいで、どんなものなのか想像なんてつかないけど


本当に何にも代え難いものになるにちがいない。





2011年8月21日日曜日















2011/8/19 13:56に父が息をひきとりました。

食道がんが発覚したのは去年の10月。

家族みんな、ある程度の覚悟はできていた。

本人にも癌の告知がされており、その時すでにステージ3だった。

ただ、余命は本人には知らせれおらず

1年もつかもたないかということだった。



15日に会って話したのが最後の会話だった・・。

最後に握手をして帰ってきた。

「お父さんまたね。また来るからね」と言うと

父は「いいよいいよ。無理してくんな。いつもありがとね」と

言う言葉が最後だった。



どんなに悔やんでも

もう父とは話すことはできないけれど

私は一時退院した時に3時間

自宅のダイニングキッチンで父と話す機会があった。

普段、父と2人でゆっくり話すことなんてほとんどなかったのに

そのときだけは本当にゆっくり話すことができた。

その三時間がなければ私はきっと

もっとちゃんと話してればよかった・・・って後悔したのかもしれない。



父は家族全員に看取られて天国へ旅立っていきました。

19日AM8時

母からの電話で「もうお父さん駄目みたいだから早くきて」との連絡。

病院へ到着したのは9時前だった。

その時、すでに意識はなかったけれど

酸素レベルや心拍はまだ問題がなかった。

話しかけてもほとんど反応はなかったけれど

看護士さんが言うには声は聞こえてると思うから

話しかけてあげてくださいってことだった。

私は「お父さん」と呼びかけることしかできなかったけれど

一回だけ指が動いて反応をしてくれた。

姉が遅れて到着し「お父さん、大好きなビール持ってきたよ!」と泣きながら言うと

父はうっすらと微笑んだように思う。

家族全員がそろったのだが

一瞬 父が亡くなる数十分前に

病室に私と姉しかいなくなった時があり

父の酸素レベル 脈拍が一気に下がりだした

母が病室から離れてすぐで

母にすぐに病室に戻るように携帯電話をならした。

母が来るまでは生きていてほしい・・・

その一心で父を呼び続けた。

呼び続けたという感じではなく

姉と一緒に叫び続けた。

病室の外に声が漏れようと何をしようと

母が看取れないなんてかわいそすぎて

母にちゃんとお別れを言わせてあげたかったから。

何度も何度も父に「もう少しだから!お母さんが戻ってくるまでは!!」って

何度も伝えた・・・

酸素レベル10以下になって

心拍も20以下になったところで母が到着し

「お母さんきたよ!」と父に言うと

父のレベルはグッと一瞬あがり

その後数分、母は父に話しかけていた。

「ありがとね。よく頑張ったね。もういいよ。もう無理しないで良いよ」って

母は何度も何度も言っていた。

私は母があんな風に大粒の涙を流して泣いているのを何年も何十年もみていないかもしれない。

45年以上つれそった人が死んでしまうことが

どんだけ悲しいことなのか私には想像がつかないけれど・・・

父は最後に「ありがとう」と母には言えなかったけど

きっと、母が戻った瞬間に酸素レベルや心拍がグッとあがったのは

母にお礼を言いたかったからなんじゃないかと思う。

母は今日も父の冷たい顔に触れながら

「あれが最後の会話だなんて思わないから、あんな風に帰っちゃったけど

もっともっと優しくしてあげればよかったよ」って、また大粒の涙を流して

父に話しかけていた。

父が亡くなる前の日、父は母にたくさんのわがままを言ったらしい。

聞き分けのないわがままを言うので母は怒ったらしい。

母は怒ったことを後悔していた。

母に「お母さんが戻ってきた瞬間、すごく心拍も回復したし

酸素レベルも回復したから、お父さんは最後にお母さんにお礼を

言いたかったんだと思うんだよ。

言葉にはできなかったけど、お母さんが戻ってきて一気に回復したって

そういうことだったんだよ」と言うと

母は少し笑って「そうかな。そうかな。そうだといいな。一緒に行こうねって言ってたところ行けなかったね。バーベキューもしようって言ってたのに出来なかったね」って

泣きながら父の顔をなでていた。

たくさん喧嘩をして、たくさん困らせられて

それでも母は父に尽くしてきたとこを私はたくさん見てきた。

文句も言うけど本当に父のことが大好きでしかたなかった母。

私達以上に母の悲しみは深いんだろう。

でも母はみんなの前では気丈に振る舞っている。

母は強い。

そんな母をみていたら私は泣いてなんていられないんだ。

母にもう少ししっかり悲しんでもらいたい。

今は来客が絶えず、悲しんでいる暇なんてないのかもしれないけれど。

父はきっと母を見守ってくれるだろう。

願わくば、母の夢の中にでも出てきてもらって

母と会話をして欲しいと思うよ。

夢の中でも「ありがとう」って笑って言ってやってよ。


今頃、父は癌の痛みもなくなり空の上で大好きな酒を飲んでるのかもしれない。

そんな気がする。

お父さん 72年間おつかれさま。

安らかに。

お母さんのことをしっかり見守っていてあげてください。

父の希望もあって家族と親族のみでの通夜と告別式になります。 

弔問 弔電 弔花 お香典などはお断りさせていただかせてください。



2011年6月24日金曜日

夏至の夜に


久々の更新・・・・(ーー;

夏至の日にキャンドルナイトしながらヨガをしてきました! 




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月1ペースでしかいけてないのだけど 
私がお世話になっているリカ先生のヨガ教室 
 
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夏至のキャンドルナイト 

カリンバ奏者のセイジさんhttp://mizukaneno-oto.blogspot.com/ 

カリンバを弾き 

生徒さん一人一人が持ち寄ったキャンドルを灯しながらの中でヨガをする 

素敵なイベントでした。 

その後はマクロビご飯を食べて心もお腹もみたされた。 

私がマタニティということもあり先生がお腹を潰さないように 

配慮してくれりで本当にどうもありがとうございました(^0^) 

戸田さんのマクロビご飯とてもおいしかった〜!! 

キャンドルの中でのお食事だったので暗くて 

写真撮らなかった。 

もう一人ゆかりさんがつくったスィーツもすごくおいしくて 

スィーツではないのだけどカレーとタマネギのマフィンもこれまたおいしかった。 

こういうの作れるって幸せだろうな〜 

そしてみんなによろこばれるっていいなぁ〜 

おみやげにたくさん買ってしまった(笑) 

どれも優しい味でいくらでも食べれそうだった!(爆) 

太るね(笑) 

そしてこの日は先生のお誕生日で 

サプライズケーキも用意されていた。 

これももちろんマクロビ! 

すごーい! 

一口だけいただきましたが味はやっぱりやさしかった!!! 

私も何かやらなくちゃ、そう思うことがいっぱいで 

そこにいる人たちはみんなそれぞれに何か前向きな力をもっていた。 

そして早くリカ先生のマタニティヨガいかなくちゃだわ!!! 

6ヶ月になる前にいきたいのだけどなぁ。。。 

そうそう、このヨガクラスの料金は日本赤十字を通し震災で 

被害に遭われた方へ寄付されるとのことでした。 


画像 
売っていたビスケット 

2011年5月26日木曜日

打ち合わせと相談会


















午前中にあやちゃんの披露宴の打ち合わせの為 


目黒にあるエルガーハウスへ。 

アリーと一緒にスナップ係をやることになりました。 

当日はゲストでもあるためお料理も頂きながらスナップ撮影も 

楽しみたいと思います。 

緑がたくさんあるエルガーハウス。 

薔薇もたくさん咲いていてとても綺麗でした。 

明るさがどれくらいなのか知りたかったのと 

きっと薔薇も咲いているだろうと思い 

カメラ持参。 

披露宴の一連の流れを確認して3人でランチを食べた後私は日赤医療センターへ。 

今日は出生前診断の相談を医師とする日。 

去年の2月に入院したときの担当医が偶然にも今日の説明医だった。 

「あれから元気でしたか?」という言葉に涙しそうになった。 


腹部エコーがおわって出生前診断の話しへ。 

去年もきいた内容。 

同じ診察室で同じ医師から。 

あの時は胎児の状態が悪く先生の顔色は穏やかではなかったけれど 

今日は「エコー見る限り、今回は浮腫もないし背骨もしっかりしてる。 

なんの問題もなさそうですよ」と穏やかな顔つきで話していた。 

そう、胎児が前と同じ病気になる確率は0に等しいと去年もいわれていた。 

とりあえずもうシスティックヒグローマと言う病気を気にしなくて 

いいはずなんだけども、それでもいつもエコーを見るたびに浮腫を 

探してしまう自分がいたりする。 

先生が動かすマウスが何を計ってるのか気になって仕方ない。 

帰るときはそうでもなかったんだけど 

帰ってきてご飯を食べた後に突然悲しくなって涙がとまらなくなった。 

ふと今日の先生の「元気だった?」という言葉 

去年と同じ診察室 

あの時と同じ担当医 

同じ説明 

夫婦そろってきかなければいけない話し。 

あの時とおんなじような状況だったからなんだろうなぁ。 

今日も先生に問題なさそうだと言われてるのにな。 

悲しんではいけないとわかっているのに涙がとまらなくなってしまった。 

今はもう新たな命を授かって、前向きにって思っておちついたと思っていたけれど 

もう今は大丈夫なんだけど、ふとくるんだ。 

こういうときは深呼吸深呼吸。 


画像:エルガーハウス庭から 
   エルガーハウスのエントランスにある薔薇