2010年11月30日火曜日

いきいきと




昨日とはうってかわって 

いきいきとしたお花 

これはこれで美しい 

活力をあたえてくれて 

いやしをあたえてくれる 

いきいきとした花も 

しおれてしまっている花も 

それぞれにいいところがあるから 

大好きです 

人も一緒だね 

みんなみんないいところがあって 

わるいところもあって 

わるいところはいいところでもあって 

みんな表裏一体なんだよね 

画像:母の庭の小菊

2010年11月29日月曜日

美しいもの




昨日は眠れなくて

明け方写真を撮っていた

毎年 母が実家の庭に咲いている菊を

切り花にしてくれるのだけど

その菊がもうそろそろ終りの時


かなり枯れているんだけど

明け方の光に照らされて

私には美しく感じる

綺麗に咲いているときは

こころを穏やかに

癒しをあたえてくれるけど

こうやって枯れていく瞬間と言うのは

いろんなことを考えさせてくれる

だから枯れていく花を捨てられないでいる

ずっと枯れないでいてくれたら

それはそれで素晴らしい

でも命あるものだから枯れていくのは

当然なんだと

花を飾るたびにおもうこと

人間が枯れると言う表現はよくないけれど

いつまでも肌だって張りがあるわけではなく

しわしわになっていく

それは色んな経験をつんで

つくりだされたしわでもある

枯れる花をみると

そんな感じにおもえて

しかたなくて

わたしにいろんな感情を与えてくれる花を

捨てようとは思えないのです

2010年11月25日木曜日




自分のまわりの環境が 

自分の人生を左右するんだと思うけど 

その環境へ入り込んで行くのも 

飛び出すのも自分なんだよね 


わたしは色んな世界を広げたい人じゃない 

自分が安堵できる世界を作ってはいきたいけど 

不安になる世界を広げて行きたくはないんだ 

ただそんな不安のない世界なんていうのは 

おそらく皆無なわけで・・ 


その不安に負けない自分をつくっていかないととは 

常に思っているんだ 

でもそれを実際できてるかっていうとそうじゃなくて 

いつもこんな自分は嫌いだなと思ってしまうよ 


人間はなんで 

個性というものをもって生まれてきたんだろう 

なんでなんだろうね 

誰かがどんなにそれを論じたとしても 

論じてる人々がヒトをつくりあげたわけではないのだから 

信憑性ってのないような気がするんだけど 

かといって私はスピリチュアルなことを信じない人ではない 

案外信じてしまう矛盾だらけの人間だな 

意味がわからなくなってきたけど 


個性と言うものがなく 

姿かたちや性格までも一緒で男女という性別の差もなく 

カタツムリのように雌雄同体だったら 

ヒトという生物は存在する意味はなかったのだろうというのは 

なんとなく本当なんとなくだけどわかるんです 

でも本質がわかってないんだ 

そんなこと言うとヒトが地球に存在する意味さえも 

なんでなんだろうねってところにたどりつくわけで 

こんなのいったい何年考えてるんだ 

かれこれ高校生の時から考えてるんだから 

でも答えなんてみつかってないんだな 

意味があって個性というものが存在して 

人は人を認めて合うことを 

受け入れることで 

何かを得るんだけれど 

なんでそんな試練をあたえたんだろう 

目の前の試練には色んな意味がある 

人は試練を乗り越えて成長する 

でもなんで成長をさせるんだとおもう? 


34歳(もうすぐ35なんだけど)にもなって 

こんなことを考えて答えにたどりついてない自分てどうなの?って 

頭悪い発言ばっかりですみません

画像:なんとなく父との昔の写真

2010年11月23日火曜日

タイトルなし

昼前に姉からの電話

26日から放射線治療と抗がん剤治療がはじまるらしい

父の病状は思った異常に深刻のようで

もう手術をすることはできないとのことだった

医師に「頑張るしかないですね」と言われたそう

治る可能性が0と言われている訳じゃない限り

わたしたちはその可能性を信じるしかないんだ


25日に17時から病院で家族への説明があるとのこと

姉との電話では「会社休めないな・・・」と言ったけど

この先どんなことになっても

しっかりと向き合っていきたいと思うから

やっぱり大切な父親のことだから

わたしも医師からの説明をききにいこうと思う

昨日 仕事中に姉からもらったメールで

会社のトイレでずっと泣いていた

私が泣いてもしかたない

そんなことはわかっていても

涙はとまらず

いろんな思いがかけめぐった



今日はこれからお見舞いにいくけど

カメラを持って行くか悩んでしまう

これから抗がん剤治療や放射線治療で痩せてしまうであろう

父を写真におさめていくこと

これは酷いことなんだろうか

わたしは冷酷なんだろうか

こんなことを写真におさめていくか悩むなんて

自分ていう人間がどんな人間なんだか

うたがってしまう

父がいやがるならやめる

それはあたりまえだ

まずは父に話しをきくのがいいかもしれないし

父を目の前にしたら撮ろうなんて気はなくなるかもしれない

2010年11月21日日曜日

サザンクロス



以前 無料配布していたサザンクロスが

たくさんの花をつけて

長いこと楽しませてくれている

何ヶ月かたったから

家にあるのがあたりまえのようになっているけど

何ヶ月か前はここにはなかったわけで

あたりまえのように今はここにあるけれど

そのあたりまえに日々感謝をしなくてはだなぁ

日々 私に癒しをもたらしてくれていて

ありがとう

画像:光とサザンクロス

2010年11月16日火曜日

いつも



好きな物や人に囲まれてすごしていたら

どんなに幸せだろうね

2010年11月6日土曜日

タイトルなし



もしもわたしが

8月に子供をうむことができていたら

父は顔をほころばせて

その子を抱いてくれただろう

うれし泣きをして抱いてくれたかもしれない

死産というかたちだったから

8月にそれを叶えてあげられず

位牌に手を合わせるかたちで

会わせることしかできなかったけれど

いつか我が子を抱いてほしいんだ

それを叶えてあげたいし

叶えてほしい

だから負けないで

弱気になんてならないでいてほしい

家族がついているから

みんなついているから

諦めずに信じてすすまないと

わたしたちがめげたらおわりだ

強く 強くいよう

そして 克服しよう

今年の夏が終わる頃に電話で

みんなでBBQしたいといっていたから

来年の夏にBBQしよう

いまは信じること

信じてすすむこと